アメグラ 〜 my identity 〜

今日は私の人生を大きく変えた1本の映画アメグラの話をします。長いです!
携帯じゃなくてPCで読む事をお進めします〜

まずはアメグラ三種の神器
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ビデオ
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現在は国内版字幕スーパー入りのVHSやDVDが販売され、容易にレンタルで
も見る事が出来ますが、今から20年以上前は国内にビデオが販売されておら
ず、TVで映画をやらない限り見る事が出来ませんでした。
これは1989年に、新宿の紀伊国屋にあった輸入ビデオを扱うお店に頼んで
アメリカから取り寄せてもらったビデオです!当然字幕スーパーなどありま
せんが、セリフは全部頭に入っていましたから何の問題もありません!!

サントラ
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レコードのジャケットを開くとこうなります!
あまりにも有名なこのイラスト!アメグラに興味が無い人も、一度は見た事
あるはず!映画の中で使われているオールディーズが全41曲入ったLP2枚組

パンフ
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1974年に日本で上映された時のパンフレットです。勿論私はチビだったので
映画館でオリジナルを観る事は出来ませんでした。これは古本屋を探し歩い
て見つけた宝です。今ではネット上のオークションで手に入りますが、昔は
探すのに苦労しました。

まずは、私のアメグラコレクションを3つ紹介しましたが、アメグラって何?
と言う人もいるかもしれないので、簡単に説明します。
アメグラは American Graffiti アメリカン・グラフィティの略で、1973年
にアメリカで公開され大ヒットした、ジョージ・ルーカスを一躍有名にした
彼自身の2作目の映画です。
映画の内容は所謂フィフティーズ映画で、1962年の夏の一夜を4人の若者の
視点から当時の若者文化を描いた映画です。詳しい事はネットで調べれば細か
く出てますので、ここでは書きません。

まあフィフティーズ映画の代表的な存在で、この映画にインスパイアされ私の
ようなフィフティーズ馬鹿になった人間は何百いや何千・何万といるはずです。

私は中学2年のある冬にコタツで寝転がり、ぼーっとしている時にこの映画に
出会いました。最初は本当にただぼーっと見始めたのですが2時間後、映画が
終わった時には全身に電撃が走ったと言うか!脳みそが沸騰していると言うか、
体の色が黄色から白に変わっていく瞬間と言うか『何なんだーコレは!』的な
今でもあの時の事はうまく説明出来ませんが、明らかにあの2時間で私は別人
になりました!バレーボールに打ち込む坊主頭の中2はその瞬間!はんてんを
着たアメリカ人に変ったのです。それから約20年強、アメリカの50’s文化と
言うものに首までどっぷり浸かる事になる、群馬の田舎で起きた冬の出来事
です。

アメグラで50’sにはまる人間には、いくつかパターンがあります。バックに流
れるオールディーズに感化される音楽タイプ、リーゼントやジーンズに脳天を
かち割られるファッションタイプ、映画の内容自体にはまるストーリータイプ、
そして、1950年代の車と当時のカスタムカーにやられるアメ車タイプ等です。
私はその全てですが、最初はアメ車タイプでした。あのバカでかいフルサイズ
何とも言えないストリームラインにテールフィン、まるっこい可愛らしさ!!
個性の強いアメリカの車が車たるものはコレだ!を教えてくれました。アメ車
は生き物です!単なる移動の手段ではありません。乗ればわかります!

次が音楽です、ちょうど同じ頃アネキに言われた「横浜銀蝿は恥ずかしいから
やめな!ブラックキャッツにしな!」の一言でロカビリーを聞き出していたの
で、このアメグラのサントラのオールディーズはやられました!かっちょえ〜
ウルフマン・ジャックのDJも最高!!

その後高校生になった私は、相変らずアメグラ命!フィフティーズ命でした。
そして、なんと!高校で知り合ったY君がテレビで上映したアメグラを録画し
たビデオを持っていたのです!
この当時まだVHSのビデオデッキ自体が高価で、当然家にもなかったですから
好きな時間に何度でもTVでアメグラが観れるなんて天国でした!しょっちゅ
うY君の家に行きアメグラを観てました。この時殆どのセリフは覚えました!

そしていよいよファッションです。高校2年の時、アネキが勤めていた保育園
の裏側に、高崎のクリームソーダがあって、そこの店長が近所と言う事もあり
アネキの知り合いだったのです。

そして、店長が「弟がいるなら店に遊びに来させてよ」と言っているとアネキ
から聞きました。高崎クリームソーダ、私が通っていたときは「桃色天国」と
いう名前でした、お店の前を通るといつもリーゼントの強面のお兄さんが立っ
ていて、とても入るのに勇気がいる感じで、なかなか一人では行けなかったの
ですが、店長がお呼びではしょうがない!『すんませ〜んそこの保育園の保母
の弟です』と言いながら入って行くと、強面の若いほうじゃない店長さんが出
て来て「オ〜良く来たな〜」みたいなノリで・・・・そこから桃色天国通いが
始まりました!

今の様な原宿のクリームソーダとは違い、当時の高崎クリームソーダ桃色天国
はレプリカだけでなくアメリカの古着も売っていて、よく店長に色々教わって
古着を買っておりました。あの頃からレプリカには全く興味がなく、1950年
代当時の本物が好きでした、ハンドステッチやレーヨンのテロテロ感がたまら
なく好きで、ピンクとかペパーミントとか着てたな〜 あと古着独特の匂いも
大好きでした!

それから笑えるのは、先日書いたBOØWYの記事でもお話ししましたが、高校
時代には週末高崎版アメグラ生活をおくっておりまして、知り合った人に渡す
名刺を作ってました。その名刺の肩書きがなんと 50’sBoy です 恥ずかし〜
やたらに渡しまくっていたら、ある日学校帰りに高崎駅の東口構内に私の名刺
が捨てられていて凹んだな〜 (。>0<。)

長くなりましたが、これはアメグラに変えられた私の人生のほんの序章にすぎ
ません。アメグラについては折に触れてまた色々書きます。

続きは、高校3年の秋にアネキに言われた「女にモテたきゃY’sを着な!」の
一言から始まります!

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